character/[id]

PERSON
畠山義継
畠山義継
二本松城主・粟ノ巣の変の主役
1552-1585 · 享年 33歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
陸奥国二本松城主。二本松畠山氏の末裔として陸奥国安達郡を支配した。伊達政宗の父・伊達輝宗が奥州諸大名を次々と従えていくにつれ、二本松家の所領は次第に侵食され、義継は強い屈辱と怨恨を蓄積させていった。1585年(天正13年)10月、所領問題の調停のために二本松城を訪れた伊達輝宗が帰ろうとした際に礼を言うふりをして突如として輝宗を拉致した(粟ノ巣の変)。輝宗を人質として安達郡粟ノ巣方面へ逃走したが、伊達政宗の命を受けた追手に追い詰められ、阿武隈川畔で義継はじめ一行全員が討ち取られた。「父もろとも撃て」と政宗が命じたか否かについては古くから議論があり、今なお歴史家の間で結論が出ていない。この事件は、父を失った政宗が二本松城攻略を一層精力的に推し進め、奥州統一に向けた動きを加速させる契機となった。享年33歳。二本松城跡(福島県二本松市)は今も「霞ヶ城」として親しまれており、義継が起こした粟ノ巣の変の顛末は奥州史の悲劇として語り継がれている。
人物像
伊達家の圧力に長年耐え忍んできた末に爆発した武将。窮鼠猫を噛む如く、最後の賭けに出たものの、政宗の冷酷な決断の前に散った。弱小大名が戦国の荒波を生き抜く難しさを体現した人物。
歴史的意義
粟ノ巣の変は伊達政宗の歴史において最も劇的な出来事の一つとして語り継がれている。輝宗の死は政宗に深い悲しみをもたらしつつも、その後の攻勢を正当化する動機ともなった。二本松市にはこの史実を伝える史跡が残されている。
逸話・エピソード
畠山義継の人質となった輝宗——政宗の悲劇的決断の遠因
二本松義継は畠山氏の当主で、伊達政宗が勢力を伸ばすにつれ領土を次々と圧迫された。1585年、義継は家臣の処分問題などを理由に伊達輝宗のもとを訪れ、退出の際に突如として輝宗を拉致した。追い詰められた政宗は「父ごと打て」と命じ輝宗と義継は共に命を落とした。翌1586年、政宗は二本松城を完全に包囲・攻略し義継の嫡男・国王丸を降服させた。二本松氏は事実上滅亡した。この一連の出来事は政宗の奥羽制覇の節目となる事件だった。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U