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PERSON
新島襄
新島襄
同志社創立者・脱国留学の先駆
1843-1890 · 享年 47歳
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生涯
1843年、上州安中藩士・新島民治の長男として江戸藩邸に生まれた。幼名・七五三太。藩校で儒学を学び、のち蘭学・英学に触れた。漢訳聖書に出会い、聖書の神・「真の主」を求めて1864年、禁を犯して函館からアメリカ船ベルリン号に密航。翌年ボストンに到着、船主アルフィーアス・ハーディ夫妻に養われジョセフ・ハーディ・ニイシマの名で洗礼を受けた。フィリップス・アカデミー、アマースト大学、アンドーヴァー神学校に学び、1874年に帰国。アメリカン・ボードの支援を得て、1875年、京都に同志社英学校を開校(創立時は生徒8名、教師2名)。山本覚馬・新島八重らの協力を得てキリスト教主義の高等教育機関を育てた。神学校・大学への昇格を目指して奔走する中で健康を損ない、1890年、神奈川県大磯で48歳の生涯を閉じた。「良心の全身に充満したる丈夫の起り来らんことを」が臨終の遺言と伝わる。
人物像
静かなる情熱家。威圧せず、学生を「諸君」と呼びかけて対等に接した。英語で「conscience(良心)」を「自由なる良心」と訳し、同志社教育の核に据えた。病弱な身でありながら旅と開校に身を削り、48年の短い生涯を燃焼しつくした。
歴史的意義
同志社は神学校・大学に発展し、徳富蘇峰・浮田和民・山路愛山らを輩出する明治キリスト教文化の中心となった。「自由・キリスト教・国際主義」という建学精神は、戦前戦後を通じて日本の私学教育に大きな影響を与え続けている。アマースト大学はその功績を讃え、1889年、日本人初の名誉博士号を新島に授与した。
逸話・エピソード
1864年——国禁を犯してアメリカへ密航
21歳の襄は「西洋の学問とキリスト教を学ぶ」ため、渡航禁止の国禁を犯し、函館からアメリカ船ベルリン号に密航した。船長ウィリアム・T・サボリーは夜陰に乗じ捕縛されれば死罪となる若者を自室に匿った。上海で別のアメリカ船ワイルド・ローバー号に乗り換え、1年近い航海の末ボストンに到着。船主ハーディ夫妻が襄を愛し、フィリップス・アカデミーからアマースト大学まで学費を出して養育した。この密航がなければ日本のキリスト教教育は違う形になっていた。
1875年——京都に同志社英学校を開く
帰国した新島は、キリスト教布教が解禁されたばかりの日本で、あえて仏教・神道の本拠地である京都を選び学校設立を目指した。山本覚馬の協力で旧薩摩藩邸跡を借り受け、1875年11月29日、同志社英学校を開校。当初は生徒8名・教師2名のみで、近隣からは「耶蘇学校」として警戒された。しかし「キリスト教主義・自由主義・国際主義」の理念と真摯な教育姿勢により徐々に信頼を得、徳富蘇峰ら傑出した門下生を輩出するに至る。
─ 完 ─
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