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PERSON
ニコライ
ニコライ
ロシア正教会宣教師・ニコライ堂建立
1836-1912 · 享年 76歳
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生涯
1836年、ロシア帝国スモレンスク県のベリョーザ村に生まれた。本名イワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン。サンクトペテルブルク神学大学在学中、日本への宣教を志願し修道士となりニコライの名を得た。1861年、函館のロシア領事館付司祭として来日。最初の信徒は函館神明宮の宮司・沢辺琢磨(坂本龍馬の従兄)であった。1872年、東京に拠点を移し、駿河台の高台に用地を購入。1891年、日本で最も壮麗な正教会建築「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」を完成させた。1880年にロシア正教会より主教位、1907年には大主教位に叙された。日露戦争(1904-05年)中もあえて日本に留まり、捕虜となったロシア兵士の慰問・聖書翻訳を続け、日本人信徒の信頼を守り抜いた。51年間の日本滞在中に新旧約聖書全体をはじめ膨大な宗教書を日本語に翻訳、3万3千人の信徒と260余の教会共同体を育てた。1912年、東京で75歳で没。1970年、ロシア正教会により「亜使徒聖ニコライ」として列聖された。
人物像
寡黙にして忍耐強い聖職者。「私は日本人になりたい」と語るほど日本文化を愛し、流暢な日本語を話した。日露戦争時、ロシア人司祭として日本人信徒の前で戦勝の祈りは捧げないが、ロシア皇帝の名による祈りは一日も欠かさなかった。その厳格な誠実さが日本人信徒のさらなる敬慕を生んだ。「日本の正教会は日本人の手で運営されるべき」と信じ、日本人司祭の養成に力を注いだ。
歴史的意義
東京復活大聖堂(ニコライ堂)は関東大震災で被災したが再建され、現在も御茶ノ水のランドマークとして親しまれている。日本正教会は戦前の最盛期には4万人の信徒を擁し、現在も自治教会として独立した活動を続ける日本で唯一の正教会。ニコライの聖書翻訳・伝道方針は現代の日本語正教訳聖書に受け継がれている。ロシア人宣教師が異文化の中で半世紀を過ごし敵国となっても信徒を守り通した生き方は、近代宣教史に類を見ない事例として世界的にも評価されている。
逸話・エピソード
最初の日本人信徒・沢辺琢磨との運命的出会い
1865年、函館神明宮の宮司・沢辺琢磨(坂本龍馬の従兄)は、攘夷の志を抱き、「邪教の宣教師」ニコライを斬り捨てようと押しかけた。しかしニコライは平然と「まず話を聞いてから決めよ」と応じ、聖書の教えを語った。沢辺は半年以上の問答の末に感化され、刀を置いてキリスト者となった。1868年、日本初の正教会受洗者として密かに洗礼を受け、のち日本人初の正教会司祭となった。禁教下の日本において、最初の改宗者がかつて自分を殺そうとした神官であったという事実は、ニコライ伝道の象徴となった。
日露戦争——敵国に留まり日本人信徒を守る
1904年、日露戦争が勃発するとロシア人は日本から追放される危険にさらされた。ニコライは仲間のロシア人宣教師を帰国させながら、自身は日本に残る決断を下した。「私が去れば日本の正教会は潰える」と考えたからである。戦時中、日本人信徒の前での戦勝祈願はせず、自分一人でロシア皇帝のための祈りを捧げた。俘虜となったロシア兵士(約7万人)を慰問し、日本人信徒も巻き込んで人道的支援を組織。戦後、明治天皇は彼の功績を称えて勲一等瑞宝章を授与した。敵国の中で信仰を貫いたその姿は、宗教者の鑑として今も語り継がれる。
─ 完 ─
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