1787年、相模国足柄上郡栢山村(現・神奈川県小田原市)の農家に生まれた。幼名・金次郎。14歳で父、16歳で母を亡くし、叔父の家に身を寄せた。田畑を奪われ極貧に陥ったが、薪を運ぶ道中に『大学』を暗唱して学問に励み、空き地に菜種を植えて油に換えるなど努力を重ねて20歳前に生家を再興。その噂を聞いた小田原藩家老・服部家の財政再建を任され成功。1822年以降、藩主大久保忠真の命で下野国桜町領(栃木県真岡市)ほか600余村の復興を指導。「勤勉・倹約・推譲(分度を守り余剰を他に譲る)」を柱とする報徳思想を説き、村民に自助共助の精神を植え付けた。1853年、幕府普請役格として日光神領(栃木県日光地方)の復興に着手。1856年、同地で69歳で没した。「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」の言葉を遺した。