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PERSON
西周
西周
「哲学」「科学」等の訳語創出者・明六社
1829-1897 · 享年 68歳
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生涯
1829年、石見国津和野藩(現・島根県津和野町)の漢方医・西時義の長男として生まれた。幼名・経太郎。神童と称され、4歳で『孝経』、6歳で四書五経を読んだ。藩校養老館で朱子学を修めるも、のち洋学に転じ1853年江戸に出た。蕃書調所(幕府の洋学研究機関)の教授助手となり、1862年、幕府の命で津田真道らと共にオランダ・ライデン大学に留学(1863-1865年)。フィッセリング教授の下で哲学・法律・経済・統計を学んだ。帰国後、幕末は幕臣として、維新後は明治政府の兵部省・文部省・宮内省で要職を歴任、陸軍の近代化にも貢献。1874年、森有礼らと「明六社」を結成し『明六雑誌』に啓蒙論文を寄稿。特筆すべきは西洋の抽象概念を漢字熟語に翻訳し、日本近代語彙の基礎を築いたこと。「哲学」「科学」「芸術」「理性」「意識」「観念」「主観」「客観」「定義」「命題」「演繹」「帰納」「心理学」等、現代日本語に不可欠な訳語の多くを彼が創出した。1897年、東京で68歳で没。
人物像
博学にして勤勉、内省的な合理主義者。津和野の神童として少年期から尊敬され、蘭学・英学の習得も並外れた速度であった。「日本語は西洋思想を表現できるのか」という根本問題に生涯取り組み、漢字の造語力を使って西洋概念を日本語に定着させた言語的天才。政治的には穏健で、実務家として明治官界に貢献。森有礼のように急進的ではないが、啓蒙思想の基礎を静かに築いた。
歴史的意義
西周が創出した「哲学」「科学」「芸術」「理性」等の訳語は、現代日本語・中国語・韓国語・ベトナム語に広く浸透し、東アジアの近代語彙の基礎となった。中国は日本から逆輸入する形でこれらの語彙を採用し、「哲学」「科学」などは現代中国語の常用語となっている。明六社の一員として近代日本の知的言説空間を築いた功績も大きい。現代日本の「学問」「思想」の前提条件を作った立役者の一人として、思想史・日本語史の両面で再評価されている。津和野には西周旧居が保存され、島根県の重要文化財。
逸話・エピソード
1874年——「哲学」の誕生
ライデン留学中、西は西洋のphilosophy(愛知学)をどう日本語に訳すかを考え続けた。当初は「希賢学」「希哲学」「理学」などを試したが、1874年頃『百一新論』『百学連環』において「哲学」という訳語に到達。「哲」は「賢明」を意味する漢字で、「哲学」はphilosophyの意(愛知)を簡潔に表現した。以後、「哲学」は日本語・中国語(zhexue)・韓国語(chŏrhak)・ベトナム語(triết học)の共通語彙として定着した。同時期に「科学」「芸術」「意識」「観念」「理性」など現代東アジアの抽象語彙の多くが西によって創出された。
蘭学から哲学へ——ライデン大学留学
1862年、幕府は将来の近代国家建設のため西周・津田真道らをオランダに派遣した。1863年7月ライデンに到着、シモン・フィッセリング教授の個人指導の下、「五科の学(政治・法律・経済・統計・国際法)」を2年半学んだ。西はさらに独自に哲学書を読み、アリストテレス・デカルト・ベンサム・ミル・コントらの思想を習得。1865年に帰国した時、西洋の政治哲学・社会科学の全体像を理解する数少ない日本人の一人となっていた。この留学経験が、明治以降の膨大な翻訳・著作・制度設計の原動力となった。
─ 完 ─
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