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PERSON
西田幾多郎
西田幾多郎
京都学派の祖・『善の研究』著者
1870-1945 · 享年 75歳
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生涯
1870年、加賀国石川郡宇ノ気村(現・石川県かほく市)の旧庄屋・西田得登(やすのり)の長男として生まれた。第四高等中学校で鈴木大拙と同級となり生涯の親友となる。東京帝国大学文科大学哲学科選科卒業(1894年)。以後、山口高等学校・第四高等学校などで教鞭を執りながら、参禅(京都妙心寺・円覚寺)を通じて東洋思想を深めた。1910年、京都帝国大学文科大学助教授、翌年教授。1911年、代表作『善の研究』を刊行。西洋哲学(特にウィリアム・ジェームズ、ベルクソン、新カント派)と禅思想を融合した「純粋経験」「場所の論理」「絶対矛盾的自己同一」などの独創的概念を提示、日本最初の体系的哲学書として国際的評価を得た。1928年、京都大学を定年退職、鎌倉に移り住み研究を続けた。田辺元・西谷啓治・高坂正顕・三木清らを育て「京都学派」を形成。戦時中は軍国主義とは距離を置きつつ独自の国家観を示した。1945年6月7日、鎌倉で尿毒症のため75歳で没、終戦の2ヶ月前であった。
人物像
内省的にして孤独を愛する思索家。妻や子との死別など生涯に多くの悲劇を経験し、深い悲哀から独創的哲学を紡ぎ出した。西洋哲学を徹底的に学びながら、東洋(禅)の精神性を手放さない稀有な思想家。温厚で弟子たちを愛し、京都大学の研究室は学派の聖地となった。「京都学派」の弟子たちが彼を師と仰いだのは、知的卓越さだけでなく人格的な深さゆえであった。
歴史的意義
西田哲学は日本最初の世界レベルの体系的哲学として、東洋思想を世界哲学の舞台に登場させた金字塔。ハイデガーも西田哲学に関心を寄せたと伝えられ、現在も欧米の哲学研究者により翻訳・研究が続けられている。「京都学派」は田辺元・西谷啓治・久松真一・上田閑照らへと継承され、現代日本思想の主流となった。一方、戦時中の一部言説が国家主義的と批判される面もある。京都大学近辺の「哲学の道」は、西田が思索にふけりながら歩いた散歩道として今も多くの人に親しまれている。鎌倉の西田邸跡地付近には記念碑が建つ。
逸話・エピソード
1911年——『善の研究』の衝撃
1911年1月、西田は京都帝国大学教授として『善の研究』を刊行した。初版は750部と控えめであったが、1921年の再版以降ベストセラーとなり、「青年必読の書」として大正・昭和の知識人に広く読まれた。核心概念「純粋経験」は、主客未分化の直接的体験のことで、西洋哲学の認識論を乗り越え、禅の「無」の体験と接続する独自の出発点となった。この一冊で日本は世界哲学史に初めて体系的貢献を行った。三木清は「日本最初の哲学書、日本最初の独創的哲学」と評した。
哲学の道を歩む——京都大学時代
西田は京都大学教授時代、自宅(田中下柳町)から研究室(吉田本町)への通勤路である琵琶湖疏水沿いの散歩道を、思索にふけりながら毎日歩いた。弟子の田辺元・西谷啓治らもこの道で議論を交わした。「京都学派」の重要な思想はこの散歩道で生まれたとされる。1972年、西田の業績を記念して正式に「哲学の道」と命名され、春の桜並木として観光名所にもなった。銀閣寺から若王子神社まで約2kmの道は、今も哲学を愛する人々に巡礼地として訪れられている。
─ 完 ─
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