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PERSON
新田義貞
新田義貞
鎌倉攻めの英雄
1301-1338 · 享年 37歳
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生涯
1301年頃、上野国新田荘(現・群馬県太田市)を本拠とする源氏の名門・新田氏の棟梁として生まれた。1333年5月、後醍醐天皇の命を奉じて上野国生品明神で挙兵すると、義貞の旗下にはたちまち関東の武士が続々と集まり大軍となった。鎌倉への進軍では、化粧坂・極楽寺坂・巨福呂坂の三方向から攻撃したが正面突破は困難であった。稲村ヶ崎では潮が引かず沿岸を通れなかったが、義貞が黄金の太刀を海に投じて龍神に祈ると潮が引いたという伝説が残る。この稲村ヶ崎の突破により鎌倉に侵入した義貞軍は北条高時らを東勝寺での自害に追い込み、鎌倉幕府を滅亡させた。建武の新政では尊氏と並ぶ最大の功臣として遇されたが、互いの勢力拡大をめぐって対立が深まり、尊氏の離反後は南朝方の主力武将として戦い続けた。1338年、越前国藤島(現・福井市)での戦闘中に流れ矢を受けて戦死した。享年37〜38歳。
人物像
武勇に優れ忠義に篤い武将。足利尊氏のような政治的野心は持たず、純粋に天皇への忠誠を貫いた。実直だが戦略面では尊氏に劣った。
歴史的意義
鎌倉幕府を滅亡させた最大の功労者。稲村ヶ崎の太刀投げ伝説は鎌倉の名所として語り継がれる。南朝の忠臣として楠木正成と並び称される。
逸話・エピソード
稲村ヶ崎の太刀投げ——龍神への祈りで潮が引いた伝説
1333年、鎌倉攻めで義貞軍は化粧坂・極楽寺坂・巨福呂坂の三方から攻めたが正面突破は困難であった。稲村ヶ崎では満ち潮のため沿岸を進めなかったが、義貞が黄金の太刀を海に投じて龍神に祈ると潮が引いたという伝説が残る。この奇跡的な突破により義貞軍は鎌倉市内に侵入し、北条一族を東勝寺に追い詰めて鎌倉幕府を滅亡させた。
─ 完 ─
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