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PERSON
丹羽長秀
丹羽長秀
「米五郎左」織田の行政官
1535-1585 · 享年 50歳
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生涯
1535年、尾張の土豪・丹羽長政の子として生まれた。若くして織田信長に仕え、その実直な仕事ぶりから「米五郎左(こめごろうざ)」の異名を持った。これは「米(食料)のように日々欠かせない存在」という意味である。信長の命により安土城の築城を奉行として主導し、日本初の本格的天守閣を完成させた。また1582年の本能寺の変直後、羽柴秀吉と共に柴田勝家に対抗し、山崎の戦い・賤ヶ岳の戦いで秀吉を支援した。越前北庄(現・福井市)・若狭・加賀の支配を任され、最終的に123万石の大大名となった。しかし1585年、豊臣秀吉との関係が複雑化する中、腹の病によって50歳で死去した。一説では秀吉への忠誠と不満の葛藤から病を得たとも伝わる。信長の忠臣中の忠臣として、誠実かつ有能な行政官として後世に評価されている。
人物像
誠実で実直、「米五郎左」の異名が示すように日々の職務に忠実な実務型の人物。派手さはないが着実に仕事をこなし、信長の信頼を長年にわたって維持した。
歴史的意義
安土城の築城監督は丹羽長秀の最大の功績として記憶されている。安土城跡は現在の滋賀県近江八幡市安土町に残り、国の特別史跡に指定されている。
逸話・エピソード
安土城の建設——信長の天下統一構想を体現した大築城工事の総責任者
丹羽長秀は1576年から始まった安土城の築城工事の総責任者を務めた。当時としては前例のない天主(天守)を持つ巨大な城郭を、琵琶湖畔の安土山に築くという信長の壮大な構想を現実のものとした。安土城は1579年に完成し、信長の政治的・文化的権威を内外に示す象徴となったが、1582年の本能寺の変の直後に焼失した。長秀は「米五郎左(こめごろうざ)」と呼ばれる清廉な人物として知られ、信長・秀吉の両者に重用された。安土城跡は滋賀県近江八幡市に残され、国の特別史跡に指定されている。
─ 完 ─
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