延沢満延
延沢満延
野辺沢能登守・延沢銀山の領主
1544-1591 · 享年 47歳
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ゆかりの地 1か所
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1 ヶ所
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延沢城
山形県
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生涯
天文13年(1544年)生まれ。延沢城初代城主・延沢薩摩守満重の子で、延沢城2代目城主となった。領内に延沢銀山を有し、その経営で勢力を蓄えた。天童氏を盟主とする「最上八楯」の一員として、山形城主・最上義光と長年にわたり抗争し、しばしば義光を苦しめた。しかし天正12年(1584年)、義光が自らの娘・松尾姫を満延の子・又五郎に嫁がせて懐柔を図ると、満延は降伏に転じた。この際、満延は降伏の条件として盟主・天童頼澄の助命を義光に願い出たと伝わる。満延の離反により最上八楯は瓦解し天童城が落城、義光の村山郡統一が大きく進んだ。同年、義光が谷地城主・白鳥長久を滅ぼすと、その旧領の一部が満延に与えられた。天正18年(1590年)11月、義光に従い上洛し、翌天正19年(1591年)3月14日、京都で病没した。
人物像
怪力・巨躯で知られ、最上義光を長年苦しめた猛将でありながら、最終的には主君への忠義(頼澄の助命嘆願)を貫いた義理堅い一面も持つ。
歴史的意義
「最上四天王」の一人に数えられることがある最上氏屈指の猛将。延沢銀山による経済力と延沢城の武力を背景に、最上氏の村山郡統一を側面から支えた。
─ 完 ─
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