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PERSON
乃木希典
乃木希典
日露戦争の英雄・殉死した軍神
1849-1912 · 享年 63歳
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生涯
長門国萩(現・山口県萩市)の長州藩士の家に生まれる。吉田松陰の甥・玉木文之進に学び、戊辰戦争・西南戦争に従軍した。西南戦争では軍旗を敵に奪われる失態を犯し、長く自責の念に駆られた。日清戦争後、台湾総督として台湾の統治に当たった。日露戦争(1904-1905年)では第三軍司令官として旅順要塞の攻略を命じられ、二〇三高地の攻略で旅順を陥落させた。しかし旅順攻囲戦では長子・勝典、次子・保典をともに失うなど多数の部下・自らの息子を死なせた激戦であり、その後生涯にわたって多くの死者への申し訳なさを背負い続けた。明治天皇の侍従武官長・学習院院長として宮中に仕え、昭和天皇(当時・裕仁皇太子)の教育にも携わった。1912年9月13日、明治天皇の大葬の日に妻・静子とともに自刃して殉死した。この「殉死」は日本社会に大きな衝撃を与え、明治的精神の象徴として語り継がれた。森鴎外が「阿部一族」で、夏目漱石が「こころ」で触れた「殉死」のモデルとも言われる。享年63歳。
人物像
厳格な自己律と武人的な誠実さを持った軍人。旅順での息子たちの死を生涯背負い続けた責任感の強さ、明治天皇への絶対的な忠誠心が行動の根幹にあった。清廉で禁欲的な生活を守り、私利私欲とは無縁であった。
歴史的意義
日露戦争の英雄として「軍神・乃木大将」と称された。殉死は夏目漱石「こころ」の重要なテーマとなり、明治精神の象徴として文学・思想に深く刻まれた。山口県萩市・東京都港区赤坂の乃木神社に祀られ、今も参拝者が絶えない。
逸話・エピソード
明治天皇崩御に殉じた乃木夫妻の殉死——「殉死」の衝撃
乃木希典は日露戦争の旅順攻略で二人の息子を失い、多大な犠牲に苦しみ続けた。1912年9月13日、明治天皇の大葬の日に妻・静子とともに殉死した。この行為は「明治の精神の殉死」として夏目漱石の「こころ」に影響を与えるなど、近代日本文学・思想に深い痕跡を残した。陸軍大学校の院長として教育にも尽力し、その清廉さは後世に語り継がれる。
名言
辞世
「山川草木転荒涼 十里風腥新戦場 征馬不前人不語 金州城外立斜陽」
ゆかりの地 — 2
靖国神社
東京都
乃木希典(1849〜1912年)は日露戦争の英雄として靖国神社に深く結びついた人物である。旅順要塞攻略戦(1904〜1905年)では二人の息子も戦場で失いながら指揮を執り続け、旅順を陥落させた。1912年9月13日、明治天皇の大葬の礼の当日、妻・静子とともに殉死(自刃)し、日本中に衝撃を与えた。乃木の殉死は武士道精神の象徴として称えられる一方、時代錯誤との批判も受けた。靖国神社には乃木と妻の霊が合祀されており、境内に隣接する靖国神社遊就館でも乃木の遺品が展示されている。東京・赤坂には乃木神社が建立された。
乃木神社
東京都
乃木希典はこの地に邸宅を構え、明治45年(1912年)9月13日に明治天皇の大葬に際して夫人・静子とともに殉死した。旧乃木邸はそのまま保存され、殉死の間は今も見学できる。彼の武人としての清廉さと天皇への忠義は「乃木精神」として語り継がれ、この神社はその顕彰のために翌大正12年に創建された。
─ 完 ─
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