630年頃に生まれ、7世紀を代表する女流歌人として名を馳せた。若くして大海人皇子(後の天武天皇)と結ばれ、十市皇女をもうけた。しかしその後、兄の中大兄皇子(後の天智天皇)に寵愛されて後宮に召された。2人の皇子の間を揺れ動いた波乱の半生は、万葉集に詠まれた歌を通して後世に伝わる。天智天皇に随行した蒲生野の薬猟りの折、かつての夫・大海人皇子が袖を振って気を引こうとしたのを詠んだ「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」は、万葉集屈指の名歌とされる。大海人皇子もこれに「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」と応え、禁じられた恋を詠み交わした。蒲生野の御歌は宮廷での即興歌として詠まれたとみられ、その直接的な感情表現は万葉の時代の自由さを象徴する。生涯の後半については記録が乏しく、没年も不詳だが、万葉集に13首の歌が残されている。