織田信忠
織田信忠
織田家嫡男・紀州攻めの将
1557-1582 · 享年 25歳
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中野城(紀伊国)を訪れると出会えます
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生涯
弘治3年(1557年)、織田信長の嫡男として生まれる。若くして家督の一部を譲られ、東美濃・武田攻めなど各地を転戦した。天正5年(1577年)の信長による紀州雑賀攻めでは、雑賀衆の支城・中野城(貴志城)を攻略して本陣を構え、この地を拠点に雑賀衆への攻勢を主導した。中野城陥落を機に鈴木孫一ら雑賀衆は同年3月に降伏した。天正10年(1582年)の甲州征伐では総大将として武田勝頼を滅ぼし、武田家を滅亡させる大功を挙げた。同年6月2日、本能寺の変が起こると、信長の宿所本能寺の近くにいた信忠は二条新御所に立てこもって明智光秀の軍勢に抗戦したが、多勢に無勢で自害した。26歳没。
人物像
父・信長に劣らぬ武勇と統率力を持ち、若くして方面軍司令官を任される信頼を得た。武田攻めでは冷徹な決断力を発揮する一方、本能寺の変では最後まで抗戦する武人としての気概を示した。
歴史的意義
信長の後継者として将来を嘱望されながら本能寺の変で共に落命し、織田政権の急速な瓦解を招いた。中野城攻略に見られるように、紀州雑賀攻めや甲州征伐で総大将を務めた実績は、彼が単なる後継者ではなく有能な武将であったことを示している。
さらに深く
家系図
1534-1582
織田信長
天下統一を目指した戦国大名。本能寺の変で信忠と共に自害した。
本人
織田信忠
1557-1582
─ 完 ─
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