弘治3年(1557年)、織田信長の嫡男として生まれる。若くして家督の一部を譲られ、東美濃・武田攻めなど各地を転戦した。天正5年(1577年)の信長による紀州雑賀攻めでは、雑賀衆の支城・中野城(貴志城)を攻略して本陣を構え、この地を拠点に雑賀衆への攻勢を主導した。中野城陥落を機に鈴木孫一ら雑賀衆は同年3月に降伏した。天正10年(1582年)の甲州征伐では総大将として武田勝頼を滅ぼし、武田家を滅亡させる大功を挙げた。同年6月2日、本能寺の変が起こると、信長の宿所本能寺の近くにいた信忠は二条新御所に立てこもって明智光秀の軍勢に抗戦したが、多勢に無勢で自害した。26歳没。