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織田敏広
像
織田敏広
下津城に拠った岩倉織田氏の祖
?-1481 · 享年 1481歳
ま だ 出 会 っ て い ま せ ん
下津城を訪れると出会えます
ゆかりの地 1か所
地
織田敏広を訪ねる
1 ヶ所
足跡をたどって、実際に巡る。
下津城
愛知県
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生
生涯
尾張上四郡守護代を務めた織田氏の一族。文明7年(1475年)、京都から尾張に下向して下津城に入り、尾張守護所とした。しかし文明8年(1476年)、一族の織田敏定との抗争(文明の乱)に敗れて下津城は焼失。敏広は尾張丹羽郡に逃れて岩倉城を築き、以後4代にわたり尾張上四郡を支配した岩倉織田氏(伊勢守家)の祖となった。
人
人物像
守護代家の当主として尾張の実権を握ろうとした野心家。一族内の抗争に敗れながらも再起を図り、新たな拠点・岩倉城を築いて勢力を保った不屈さで知られる。
義
歴史的意義
敏広が下津城を追われて開いた岩倉織田氏は、以後尾張上四郡(岩倉織田氏)と下四郡(清須織田氏)に尾張が二分される時代を作り、この対立構造はのちに織田信長が両家を滅ぼして尾張統一を果たすまで続いた。
深
さらに深く
系
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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