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PERSON
大江広元
大江広元
幕府を設計した初代政所別当
1148-1225 · 享年 77歳
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生涯
京の下級貴族の出身で、もとは中原姓を名乗った。学識と実務能力を買われて源頼朝に招かれ、鎌倉幕府の文官筆頭として公文所別当、のちに政所別当を務めた。文治元年(1185年)には全国への守護・地頭の設置を頼朝に建議したと伝わり、武家政権が全国支配を及ぼす制度的基礎を築いた人物とされる。頼朝の死後も幕政の中枢にあり、十三人の合議制の一員として、また北条義時の盟友として幕府を支えた。承久3年(1221年)の承久の乱では、迷う御家人に対し京への積極的な出兵を強く主張し、幕府方の勝利を決定づけたと『吾妻鏡』は伝える。晩年に大江姓を称した。嘉禄元年(1225年)に78歳で没。子孫からは戦国大名・毛利氏や出羽の寒河江大江氏が出た。
人物像
冷静沈着な実務家で、感情に流されず制度と先例に基づいて判断した。武をもって立つ御家人の中にあって、文筆と行政の力で幕府の屋台骨を支えた稀有な存在であり、承久の乱では決断を欠く諸将を叱咤する剛胆さも示した。
歴史的意義
鎌倉幕府の統治機構を設計した実質的な「制度の父」として高く評価される。守護・地頭制は以後の武家政権の根幹となった。子孫の毛利氏は中国地方の戦国大名へと発展し、近世大名・長州藩へと続いた。大江広元は武家政権における文官の地位を確立した先駆者である。
逸話・エピソード
守護・地頭の設置を建議
文治元年(1185年)、源義経の追討を名目に、大江広元は全国に守護・地頭を置くことを頼朝に建議したと『吾妻鏡』は伝える。これにより幕府は諸国に支配の手を伸ばす制度的足場を得た。一介の京下り文官の発案が武家による全国支配の起点となったとされ、広元の構想力を象徴する逸話である。
大江広元 年表
1148
大江広元、京都に生まれる
1184
源頼朝の招きで鎌倉に下向
1185
守護・地頭の設置を頼朝に進言
1191
政所別当に就任。幕府行政を統括
1199
頼朝死去。十三人の合議制に参加
1221
承久の乱。「ただちに兵を京へ」と進言
1225
大江広元、78歳で死去
ゆかりの地 — 3
─ 完 ─
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