最上氏の家臣・蔵増安房守の嫡子。天正8年(1580年)、最上義光が天童氏を滅ぼした後、山刀伐峠を越えて最上細川氏領の小国郷に侵攻し、細川直元を万騎ヶ原の戦いで討った。この戦いで父・蔵増安房守が格別の功を立てたため、義光から新たに小国郷を与えられた。安房守の跡を継いだ光基は「小国」に改姓し、旧領主・最上細川氏の居館であった岩部楯(岩部館)を改修して小国城を築き、居城とした。元和8年(1622年)、最上家改易(最上騒動)に伴い、光基(小国氏)は佐賀藩鍋島家にお預けとなり、小国郷を去った。小国城もこの時廃城となった。