幕末期の幕臣で、「明治の父」とも呼ばれる近代化の先駆者。1860年に遣米使節の一員として渡米し、西洋文明を直接体験した。帰国後は勘定奉行・外国奉行として幕府の近代化改革を主導した。横須賀製鉄所(現・横須賀造船所)の建設を主導し、フランスの技術援助を受けながら日本初の西洋式造船施設を完成させた。財政面でも新しい税制度の導入や生糸貿易の整備に取り組み、幕府の経済基盤強化に努めた。鳥羽伏見の戦いの後も徹底抗戦を主張したが容れられず、上野国(群馬県)に帰農。明治政府軍に捕縛され、裁判なしに斬首された。享年41歳。西郷隆盛は「小栗を殺さなければよかった」と後悔したとも伝わる。