1178年、源頼朝と北条政子の長女として鎌倉に生まれた。1182年頃、父・頼朝と木曾義仲が対立する中、政治的和解の一環として義仲の嫡男・義高(当時9歳ほど)が人質として鎌倉に送られ、幼い大姫の許嫁として扱われた。二人は童子の心で仲睦まじく鎌倉で共に育ったが、1184年に義仲が粟津で討たれると、頼朝は政治的脅威を除くべく義高をも捕らえて処刑した。この時、大姫はわずか6歳であった。最愛の義高を失った大姫の心は深く傷つき、長い時日をかけても回復することはなかった。成長後も食欲を失い、常に物思いに沈んでいたと伝わる。父・頼朝は勢力拡大を図り娘の入内(天皇家への嫁入り)を何度も画策したが、大姫はこれをことごとく拒絶し続けた。1197年、20歳の若さで病没した。政子は娘の死を深く悼んだという。大姫の悲恋は鎌倉時代の権力政治の非情さを体現する物語として現代まで語り継がれている。