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PERSON
岡本太郎
岡本太郎
「芸術は爆発だ」太陽の塔の作者
1911-1996 · 享年 85歳
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生涯
1911年(明治44年)2月26日、神奈川県橘樹郡高津村二子(現・川崎市高津区)に漫画家・岡本一平と歌人・小説家の岡本かの子の長男として生まれた。本名・岡本太郎。1929年慶應義塾普通部卒業後、両親と共にパリへ渡り18歳から30歳までの11年間をパリで過ごした。ソルボンヌ大学で哲学・民族学を学びつつ、画家アンドレ・ブルトンらシュルレアリスム運動、後にジョルジュ・バタイユの秘密結社「アセファル」に参加。1940年第二次世界大戦の勃発でパリを離れ帰国、1942年陸軍に徴兵され中国大陸で過酷な兵役生活を送る。戦後の1947年「夜会」を発表し、二科会会員となる。1948年「縄文土器論」を発表し、原始日本美術の革新性を発見。1951年「対極主義」を提唱、白と黒・善と悪・近代と原始など対立を画面で激突させる独自スタイルを確立した。1970年大阪万国博覧会のテーマ館プロデューサーとして「太陽の塔」(高さ70m、正面・頂上・背面の三つの顔)を制作、万博会場のシンボルとなった。1968年に渋谷駅構内のために描かれた巨大壁画『明日の神話』(縦5.5m、横30m)はメキシコで制作後行方不明となり、2003年にメキシコシティで発見、2008年から渋谷駅マークシティに常設展示されている。1981年マクセルのテレビCMで「芸術は爆発だ!」と叫び、流行語となった。1996年1月7日、慶應義塾大学病院で急性呼吸不全のため84歳で没。
人物像
常識・伝統・美の固定観念を全力で打ち砕く反逆精神の持ち主。「芸術は爆発だ」「芸術は呪術だ」「ベラボーなものを創れ」など強烈な言葉で大衆をも巻き込んだ。鋭い民族学的洞察と、子供のような純粋な創作意欲を併せ持つ稀有な存在。終生独身で、秘書・養女の岡本敏子(1926-2005)が公私のパートナーとして晩年を支えた。
歴史的意義
戦後日本美術における最大の異端児にして最大のスター。代表作『太陽の塔』(大阪万博記念公園、2018年に内部公開再開、重要文化財・グッドデザイン賞)、『明日の神話』(渋谷駅マークシティ)、『座ることを拒否する椅子』、『傷ましき腕』など、ジャンル横断の創作活動で日本中に「太郎」を浸透させた。「芸術は爆発だ!」は今も国民的フレーズ。川崎市岡本太郎美術館、東京・南青山の岡本太郎記念館(旧アトリエ)が代表的な施設。岡本太郎賞(公募展)は若手芸術家の登竜門となっている。
逸話・エピソード
1970年——太陽の塔
1967年、太郎は1970年大阪万国博覧会のテーマ館プロデューサーに就任。当時のテーマ「人類の進歩と調和」に対し、太郎は「進歩と調和なんてベラボーなものは無い」と異議を唱え、「ベラボーなもの」として高さ70m・両腕の長さ25mの巨大な「太陽の塔」を構想。正面に「現在の顔」、頂上に「未来を象徴する黄金の顔」、背面に「過去を象徴する黒い太陽」、内部に「生命の樹」が広がる。当初は「醜悪」「奇怪」と批判されたが、万博来場者6,400万人の心を捉え、万博終了後も保存されることとなった。2018年に内部一般公開が48年ぶりに再開、2020年重要文化財に指定された。
1981年——「芸術は爆発だ!」
1981年、マクセル社のカセットテープのテレビCMに出演した太郎は、画面に向かって両手を広げ「芸術は爆発だ!」と全身全霊で叫んだ。このCMは大ヒットとなり、「芸術は爆発だ」は1981年の流行語大賞銀賞を受賞。以降、太郎の代名詞であり、また日本人にとって「芸術」を表す国民的フレーズとなった。本人は「爆発というのは騒々しい音や物理的破壊ではない。人間の生命が瞬間ごとに無条件に何かを創り出す、その爆発のことだ」と説明している。
─ 完 ─
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