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PERSON
大倉喜八郎
大倉喜八郎
大倉財閥創始者・東京経済大学創立
1837-1928 · 享年 91歳
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生涯
1837年、越後国蒲原郡新発田の名主の家に生まれた。18歳で江戸に出て乾物商の奉公、のち独立して銀座で鉄砲商を営み、戊辰戦争の好況で財を成す。1873年、大倉組商会を設立し、土木・貿易・鉱業・製鉄など多角経営で大倉財閥の礎を築く。台湾出兵・日清戦争・日露戦争の軍需輸送を請け負い、国家御用商人として巨富を得た。教育と文化にも篤く、1898年、商業教育のため大倉商業学校(現・東京経済大学)を創立。1917年には私立として日本初の美術館・大倉集古館を赤坂に開館し、収集した東洋美術の名品を一般に公開した。帝国ホテル・鹿鳴館・帝国劇場の建設にも関わり、孫の大倉喜七郎はホテルオークラを創業。1928年、91歳で没。
人物像
庄屋の家に生まれながら裸一貫で立身した立志伝中の人物。商才と胆力に富み、戦時の軍需輸送で「死の商人」と呼ばれる強引さも持つ。一方で美術・教育への情熱は本物で、集めた名品を私蔵せず公開する度量の広さを見せた。贅沢を好み、帝国ホテルや私邸で豪奢な生活を送ったが、生涯現役で90歳まで事業を指揮し続けた。
歴史的意義
大倉財閥は戦後GHQにより解体されたが、大成建設・大倉酒造・ホテルオークラ・帝国ホテル等は現在も日本を代表する企業として続いている。東京経済大学は日本最古級の商業教育機関として、多くの経営者・経済人を輩出。大倉集古館は開館以来一世紀以上、国宝・重要文化財を多数収蔵する日本有数の私立美術館として文化貢献を続けている。
逸話・エピソード
戊辰戦争で銀座の鉄砲商が財を成す
1867年、銀座で鉄砲商を開いた大倉は、戊辰戦争が始まると官軍・幕府軍の双方に武器を供給して短期間で巨利を得た。英仏商人を介して輸入した最新銃を転売し、翌年には上海にも渡って直接仕入れルートを開拓。この戦時商売で得た資本が、のちの大倉組商会・大倉財閥の原資となった。明治以降も台湾出兵・日清・日露の軍需輸送を独占的に請け負い、「国策商人」として財閥を急拡大させた。
1898年——商業教育に私財投入
1898年、大倉は「日本の商工業を担う人材を育てる」べく、私財を投じて大倉商業学校を赤坂に開校。自ら校長を兼ね、教員に一橋系の学者を招いて高度な商業教育を実施した。当時の「商売人は学問不要」という風潮に対し、理論と実学を兼ね備えた商人の養成を目指した画期的な取り組みであった。同校は戦後、東京経済大学となり、経済学部・経営学部を擁する私立大学として発展。現在も同大学には創立者・大倉の胸像が立つ。
─ 完 ─
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