1837年、越後国蒲原郡新発田の名主の家に生まれた。18歳で江戸に出て乾物商の奉公、のち独立して銀座で鉄砲商を営み、戊辰戦争の好況で財を成す。1873年、大倉組商会を設立し、土木・貿易・鉱業・製鉄など多角経営で大倉財閥の礎を築く。台湾出兵・日清戦争・日露戦争の軍需輸送を請け負い、国家御用商人として巨富を得た。教育と文化にも篤く、1898年、商業教育のため大倉商業学校(現・東京経済大学)を創立。1917年には私立として日本初の美術館・大倉集古館を赤坂に開館し、収集した東洋美術の名品を一般に公開した。帝国ホテル・鹿鳴館・帝国劇場の建設にも関わり、孫の大倉喜七郎はホテルオークラを創業。1928年、91歳で没。