生年は不詳。その武勇から「鬼大城」の異名で知られ、後に越来間切総地頭となったことから「越来賢雄」とも呼ばれる。正統23年(1458年)、勝連按司・阿麻和利が首里城奪取を計画すると、その野望を阻止するため、王府軍総大将として勝連城を攻略し、阿麻和利を討ち取った。この功により王府内で重きをなしたが、成化5年(1469年)、有力按司であった金丸(後の尚円王)がクーデターにより王位を奪うと、新政権と対立を深めた。追われる身となった大城賢雄は知花城の洞窟に逃げ込んだが、火攻めに遭い、自刃して果てたと伝わる。