1549年、伊達家の武将・鬼庭良直の子として生まれた。後に「茂庭綱元」と改姓した。父・良直は伊達氏の宿老として知られ、その子として輝宗・政宗二代にわたって仕えた。武力よりも弁舌・外交・情報収集に優れた異色の武将で、政宗の奥州制覇期には交渉役として縦横に活躍した。1590年の豊臣秀吉の奥州仕置では、遅参問題を巡る政宗と秀吉の緊張した交渉に立ち会い、伊達家の存続に貢献した。朝鮮出兵(1592・1597年)の際にも兵站・交渉で奔走した。1600年の関ヶ原では、政宗の密命を受けて上杉景勝に書状を送るなど、表と裏の情報戦を担った。この二重外交は伊達家が東西どちらにも転べる状況を作る政宗の深謀の一端であった。関ヶ原後は仙台藩の重鎮として藩政を支え続け、1640年に91歳という当時としては驚異的な長寿で没した。その外交手腕と長寿は伊達家の安定に多大な貢献をなした。茂庭綱元の「外交の巧みさ」と「長寿の秘訣」は仙台藩の安定に大きく貢献し、今も「伊達家の智恵袋」として地元の歴史家に評価されている。