奈良時代の武将・公卿。神亀元年(724年)、蝦夷の反乱鎮圧にあたり、陸奥国に多賀柵(多賀城)を築いたと伝わり、多賀城碑にその名が刻まれている。天平元年(729年)9月14日、陸奥国鎮守将軍に任命され、蝦夷との交渉・軍事における陸奥国府・鎮守府の中核である多賀城を拠点に東北経営にあたった。天平9年(737年)には多賀柵から出羽柵へ至る直路の開通を進言・実行するなど、律令国家の東北支配の実務を担った。天平11年(739年)4月21日には参議に昇進して公卿に列し、天平14年(742年)11月2日に薨去した。