生没年不詳ながら825年頃に生まれたとされる平安時代前期の女流歌人。出羽国(秋田県)の郡司・小野良真の娘という説が有力だが、出自の詳細は不明。六歌仙・三十六歌仙に選ばれた当代最高の歌人で、紀貫之は古今和歌集の仮名序で「いにしえの事を問はん」と讃えつつも「あはれなるやうにて強からず、いはば良き女のなやめるところあるに似たり」と評した。代表歌「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」は春雨を眺めながら過ごした空白の時間と美の衰えを重ねた名歌で、百人一首に採録されている。絶世の美女として名高く、深草少将が愛を打ち明けると小町は「百夜通ったなら受け入れよう」と答えたとされる。少将は九十九夜まで通い続けたが最後の夜に雪で息絶えたという「百夜通い」の伝説は能・歌舞伎・近世小説で繰り返し語られた。晩年は落ちぶれて諸国を流浪したとも伝わり、「卒都婆小町」「通小町」「関寺小町」の謡曲が生まれた。