「子争い」(二人の母が一人の子を取り合う話)や「三方一両損」など、大岡越前の名裁判として広く知られるエピソードの大半は、実は中国の古典や落語から借用した創作である。江戸時代に出版された『大岡政談』は講談や芝居の台本として爆発的に流行したが、その内容はほぼフィクションであった。しかし史実の忠相も決して凡庸な官僚ではなかった。享保の改革では目安箱の運用、小石川養生所の設立、町火消しの組織化など、庶民の生活に直結する政策を次々と実行した。判決記録からは、感情に流されず証拠に基づいて公正に裁く姿勢が読み取れる。「名裁判官」の虚像は創作だが、「名行政官」としての実像は歴史が証明している。