大永2年(1522年)、岩付城主・太田資頼の子として生まれた。天文16年(1547年)、兄・資顕の死後に空位となった岩付城を実力で奪い家督を継承したが、翌天文17年(1548年)には一旦後北条氏に降った。その後は上杉謙信と結び北条氏に抵抗する反北条勢力の中心として岩付城に拠り続けたが、永禄7年(1564年)、里見氏に加勢して臨んだ第二次国府台合戦で敗北すると、その隙を突いて親北条派の嫡男・太田氏資が城を掌握し、資正は岩付城から追放された。以後は下野宇都宮氏を経て常陸の佐竹義重に仕え、片野城主として関東における反北条勢力を支え続けた。天正18年(1590年)の小田原征伐に参陣し豊臣秀吉に謁見したが、故地への復帰は叶わぬまま、翌天正19年(1591年)に片野城で没した。