千利休は1591年に豊臣秀吉の怒りを買い、切腹を命じられた。諸説あるが、利休が大徳寺山門に自分の木像を置いたことへの怒り、または外交・茶器をめぐる意見の対立が原因とされる。利休は「本来無一物」の禅の境地で最期の茶会を開き、辞世「人生七十力囲希咄」を詠んで70歳で自刃した。「侘び茶の完成者」と「権力との対決」の二つの顔が後世に語り継がれる。
秀吉が朝顔を見に来ると聞き、庭の朝顔をすべて刈り取った。茶室に入ると一輪だけが生けてあった。「美は一つで足りる」という利休の美学。
茶室の入口を極端に小さくした「にじり口」を考案。武士も刀を外し、頭を下げなければ入れない。身分の上下なく対等に茶を楽しむ利休の哲学の象徴。
黄金の茶室を好む秀吉と、わび茶を極める利休の美意識は根本的に対立した。「美とは何か」をめぐる天下人と茶人の戦いは、利休の切腹という悲劇で幕を閉じた。