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PERSON
西行
西行
歌僧・花と月の歌聖
1118-1190 · 享年 72歳
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生涯
俗名は佐藤義清(のりきよ)。北面の武士として鳥羽院に仕えたが、23歳で突如出家した。以後、日本各地を漂泊しながら生涯に約2300首の和歌を詠んだ。桜と月を殊に愛し「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」の歌は絶唱として名高い。奥州平泉を二度訪れ、陸奥の歌枕を巡った。晩年は河内国弘川寺に庵を結び、奇しくも歌の通り如月(旧暦2月)の望月の頃に没した。
人物像
武士の身分を捨てて風雅の道に生きた漂泊の歌人。自然への深い共感と孤独を愛する精神を持ち、花鳥風月に己の心を映した。後の松尾芭蕉にも多大な影響を与えた。
歴史的意義
歌集『山家集』は中世和歌の最高峰。松尾芭蕉が最も敬愛した歌人であり、『おくのほそ道』にも西行への思慕が色濃く反映されている。弘川寺は西行終焉の地として知られる。
辞世の句
辞 世 の 句
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
逸話・エピソード
願い通りの如月の望月に逝く
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」と詠んだ西行は、奇しくも1190年の旧暦2月16日(如月の望月の翌日)に弘川寺で息を引き取った。芭蕉はこれを知って「その死の美しさ」を讃え、自らも西行の死に日に倣おうとした。歌が現実になった奇跡的な逝去として語り継がれる。
源頼朝との会見
1186年(文治2年)、東国を旅した西行は鎌倉で源頼朝と面会した。頼朝は武芸の奥義を尋ねたが、西行は弓馬の道について「全くわからない」と答え、猫の鋳物の話をして帰ったとされる。権力者に一切迎合せず飄々と振る舞う西行の姿は、時の最高権力者も困惑させたと伝わる。
名言
「願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」
「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」
─ 完 ─
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