公卿・西園寺家に生まれ、明治から昭和にかけて元老(国家最高顧問)として活躍した政治家。幼少期から欧州文化に親しみ、若くしてフランスに10年間留学してフランス語・法学・政治学を学んだ。帰国後は明治政府に参画し、文部大臣・外務大臣などを歴任した。伊藤博文が率いる立憲政友会の後継者として2度にわたり内閣総理大臣を務めた(1906-1908年、1911-1912年)。大正デモクラシーを支持し、政党政治・自由主義の発展に貢献した。第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)では日本全権代表団の主席として参加した。1924年以降は最後の元老として、内閣総理大臣の奏薦(天皇への推薦)を一手に担い、政局の安定に尽力した。軍部の政治介入には否定的で、1930年代の軍国主義的風潮に抵抗した。しかし五・一五事件・二・二六事件を経て政治的影響力は低下していった。1940年に興津(現・静岡県静岡市清水区)の別荘で逝去した。享年91歳。