character/[id]

PERSON
西園寺公望
西園寺公望
最後の元老・自由主義的政治家
1849-1940 · 享年 91歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
公卿・西園寺家に生まれ、明治から昭和にかけて元老(国家最高顧問)として活躍した政治家。幼少期から欧州文化に親しみ、若くしてフランスに10年間留学してフランス語・法学・政治学を学んだ。帰国後は明治政府に参画し、文部大臣・外務大臣などを歴任した。伊藤博文が率いる立憲政友会の後継者として2度にわたり内閣総理大臣を務めた(1906-1908年、1911-1912年)。大正デモクラシーを支持し、政党政治・自由主義の発展に貢献した。第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)では日本全権代表団の主席として参加した。1924年以降は最後の元老として、内閣総理大臣の奏薦(天皇への推薦)を一手に担い、政局の安定に尽力した。軍部の政治介入には否定的で、1930年代の軍国主義的風潮に抵抗した。しかし五・一五事件・二・二六事件を経て政治的影響力は低下していった。1940年に興津(現・静岡県静岡市清水区)の別荘で逝去した。享年91歳。
人物像
貴族的な洗練と自由主義的な政治思想を持つ稀有な政治家。フランス文化への傾倒と優雅な生活様式を持ちながら、時代の波に流されることなく自らの政治的信念を守り続けた。
歴史的意義
最後の元老として大正・昭和初期の政局安定に貢献した。自由主義的政治家として軍部の台頭に抵抗した姿勢は今日評価される。静岡県清水区の旧別荘・西園寺公望邸跡は歴史的スポットとして知られる。
逸話・エピソード
最後の元老——西園寺公望と昭和の政治
西園寺公望は明治・大正・昭和の三代にわたって政界の最長老「元老」として活躍した。1900年代に二度の内閣総理大臣を務め、立憲政友会を率いた。パリ講和会議(1919年)では日本全権として参加し、国際連盟設立交渉にも関与した。1937年に92歳で亡くなるまで「最後の元老」として後継首相の奏薦に関わり続け、軍国主義の台頭に憂慮を示した。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U