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PERSON
斎藤義龍
斎藤義龍
美濃の大蛇
1527-1561 · 享年 34歳
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生涯
1527年、美濃の戦国大名・斎藤道三の長男として生まれた。ただし出生については道三の実子ではないとする説も古くから存在する。幼少期から体格に優れ、身長は六尺を超えたと伝わる巨漢であった。父・道三の薫陶を受けながら成長したが、次第に父との関係が険悪となった。1556年、道三が義龍を廃嫡しようとする動きを察知し、先手を打って弟二人を殺害した。同年の長良川の戦いで父・道三の軍を破り、道三を討ち取った。その後、美濃一国を統一し、織田信長の侵攻を四度にわたって退けた。信長をして「美濃攻めは叶わぬ」と言わしめたほどの名将であったが、1561年に34歳の若さで病死した。義龍の死後、子の龍興が跡を継いだが信長の前に屈服し、斎藤氏は滅亡した。義龍が存命であれば信長の天下統一は大きく遅れたとも言われており、その武略は後世から高く評価されている。
人物像
豪胆で決断力があり、父・道三の謀略的な気質とは異なる正面からの武力を重んじた。父を討つという非情な決断を下せる強靭な精神力を持ちながら、領国経営にも手腕を発揮した。
歴史的意義
斎藤義龍の善戦により、織田信長の美濃攻略は義龍の死まで遅れた。信長による美濃平定後の稲葉山城改め岐阜城の整備が天下統一への足がかりとなった。義龍は「もし生きていれば信長の天下はなかった」と評される稀代の名将として記憶されている。
逸話・エピソード
父を討った「美濃の蝮の子」——長良川の戦いと斎藤家の変革
斎藤義龍は1556年の長良川の戦いで父・道三を討ち取った。義龍は道三の実子ではなく土岐頼芸の子であるとも伝わり、道三への憎悪があったとされる。義龍は父を討った後、美濃を統治して強固な体制を構築し、1561年に34歳で急逝するまで信長の侵攻を一度も許さなかった。「稲葉山城に入れば信長に勝ち目なし」と言われるほどの名将で、信長が美濃を征服するのは義龍の没後13年もかかった。義龍の死が信長の天下統一への扉を開いたといっても過言ではない。
─ 完 ─
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