永享7年(1435)生、大永2年4月24日(1522年5月19日)没と伝わる。下総国中野城を本拠とし、原氏の客将であったとされる。長享元年(1487)に土気城の畠山氏を攻め、翌長享2年(1488)に本拠を中野城から土気城へ移し、以後100年余り続く土気酒井氏の礎を築いた。熱心な法華宗信者で、中野城跡に日泰上人を招いて本城寺を建立させたと伝わり、「上総七里法華」の伝承でも知られる。ただし上総酒井氏の系譜史料は祖として「酒井清伝」を挙げ、16世紀の当主も清伝を祖とするため、定隆は清伝の別名、あるいは後世の創作とみる学説もあり、実在については議論がある。