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PERSON
榊原康政
榊原康政
徳川四天王の一人
1548-1606 · 享年 58歳
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生涯
1548年、三河の武士・榊原長政の嫡男として生まれた。幼少期から徳川家康に小姓として仕え、成長とともに武将としての才覚を発揮した。1575年の長篠の戦いでは奮戦し、多くの合戦で武功を挙げた。1590年の小田原征伐では従軍し、戦後に上野館林10万石の大名となった。1600年の関ヶ原の戦いでは体調不良のため参戦できなかったが、徳川東軍への支持を明確にした。徳川四天王の一人として本多忠勝・酒井忠次・井伊直政と並び称され、特に内政・藩政での能力が高く評価された。館林での藩政整備・検地・民政に力を注ぎ、良い統治者としての評価も高い。1606年に59歳で没した。
人物像
勇猛な武将でありながら、内政・行政にも優れた才覚を発揮した文武両道の人物。家康への忠義心は生涯変わることなく、温厚で人望を集める性格でもあった。
歴史的意義
徳川四天王の一人として江戸時代を通じて高く評価された。館林藩は後に徳川綱吉が藩主となる由緒ある藩となった。榊原家は大名として幕末まで続いた。
逸話・エピソード
小牧長久手の「金ヶ崎の退き口」——秀吉に迫られた家康を救った殿軍
榊原康政は徳川四天王の一人として家康の数多くの戦いに参加した。特に1584年の小牧長久手の戦いでは、豊臣秀吉方の池田恒興隊を奇襲して撃破する武功を挙げた。この戦いで康政は秀吉に対して激しく批判する檄文(回状)を出したとされ、秀吉が「康政の首に懸賞金」をかけたという逸話がある。関ヶ原(1600年)では東軍として北陸方面を担当し、上杉軍と対峙。戦後は上野館林藩10万石を得た。文武に優れた四天王として後世に評価が高く、館林藩は後に徳川綱吉が藩主となった有名な藩である。
─ 完 ─
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