信濃国松代藩(現・長野県長野市松代)の藩士。幼少より神童と呼ばれ、江戸で佐藤一斎に儒学を学んだ。ペリー来航(1853年)以前から西洋の科学技術と軍事力の優位を認識し、「東洋道徳、西洋芸術」を唱えて和魂洋才の思想を展開した。大砲鋳造・電信機の実験・ガラス製造など西洋科学の実践に取り組み、弟子には吉田松陰・勝海舟・坂本龍馬・小林虎三郎ら幕末の俊才が集った。松陰の密航事件に連座して蟄居を命じられたが、元治元年(1864年)に一橋慶喜に招かれて上洛、公武合体と開国を説いた。しかし攘夷派からは国賊とみなされ、同年7月11日、京都三条木屋町で河上彦斎によって白昼堂々暗殺された。享年54。