character/[id]

PERSON
真田信之
真田信之
真田の守護者
1566-1658 · 享年 92歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1566年(永禄9年)、真田昌幸の長男として生まれた。弟は真田信繁(幸村)。本多忠勝の娘で家康の養女である小松殿を正室に迎え、徳川家との絆を築いた。1600年の関ヶ原の戦いでは、父・昌幸と弟・信繁が西軍に属したのに対し、信之は東軍の徳川方に付いた。犬伏の別れと呼ばれるこの決断により、真田家は東西いずれが勝っても存続できる道を残した。戦後、上田藩3万石を経て、1622年に松代藩10万石に加増転封。以後、真田家を近世大名として確立させた。1656年に家督を譲り隠居。1658年(万治元年)10月17日、93歳の長寿を全うして没した。
人物像
冷静沈着で現実的な判断力を持つ。弟・幸村の華やかさとは対照的に地味だが、家の存続を第一に考える堅実な当主。長寿を全うした忍耐力の持ち主。
歴史的意義
弟・幸村が「日本一の兵」として華々しく散ったのに対し、信之は真田家を守り抜き近世大名として存続させた。松代藩は幕末まで続き、佐久間象山など多くの人材を輩出した。93歳という戦国武将としては異例の長寿も語り草となっている。
逸話・エピソード
犬伏の別れ——真田父子の運命の決断
1600年7月、関ヶ原の戦いを前に、真田父子三人は下野国犬伏(現・栃木県佐野市)で軍議を開いた。父・昌幸と弟・信繁は石田三成の西軍に付くことを主張し、兄・信之は徳川の東軍に付くことを決めた。この決裂は涙の別れとなったが、結果的に東西どちらが勝っても真田の血筋が残るという戦略的な意味を持った。信之の判断は正しく、西軍敗北後も真田家は存続し、弟の助命嘆願にも尽力した。
ゆかりの地 — 1
上田城
長野県
昌幸の長男。第一次上田合戦では戸石城から徳川軍の側面を強襲し壊走させた。関ヶ原では徳川方につき真田家の存続を図った。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U