1566年(永禄9年)、真田昌幸の長男として生まれた。弟は真田信繁(幸村)。本多忠勝の娘で家康の養女である小松殿を正室に迎え、徳川家との絆を築いた。1600年の関ヶ原の戦いでは、父・昌幸と弟・信繁が西軍に属したのに対し、信之は東軍の徳川方に付いた。犬伏の別れと呼ばれるこの決断により、真田家は東西いずれが勝っても存続できる道を残した。戦後、上田藩3万石を経て、1622年に松代藩10万石に加増転封。以後、真田家を近世大名として確立させた。1656年に家督を譲り隠居。1658年(万治元年)10月17日、93歳の長寿を全うして没した。