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PERSON
三条実美
三条実美
明治政府初代太政大臣
1837-1891 · 享年 54歳
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生涯
堂上公家の名門・三条家に生まれ、幕末期に尊王攘夷派の公卿として活発に行動した。1863年の八月十八日の政変で長州藩とともに京都を追われ、「七卿落ち」として五条・太宰府に蟄居させられた。この約4年間の流浪生活は彼の思想を鍛えた。明治維新後は新政府に復帰し、明治4年(1871年)に太政大臣に就任して政府の首班となった。岩倉具視とともに新政府の中枢を担い、征韓論問題では西郷・板垣らの強硬派を抑えて内治優先路線を実現した。ただし有能な官僚というよりは公正な調停者として機能することが多く、強い個性を持つ明治政府の要人たちの間をつなぐ役割を果たした。1885年の内閣制度発足とともに太政官制が廃止され、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任すると、三条は内大臣に転じた。晩年は宮中顧問として活動し、1891年2月18日に54歳で没した。幕末から明治へ、公卿政治家として時代を駆け抜けた人物である。
人物像
温厚で公平、強い政治家というよりは調停者としての資質を持った人物。名門公家の出自からくる高い教養と礼節を兼ね備え、対立する勢力の橋渡し役を果たした。
歴史的意義
太政大臣として明治初期の政府を安定させ、内治優先政策を確立した。公家出身の政治家として近代日本国家形成に貢献した象徴的な存在。
逸話・エピソード
七卿落ちから太政大臣へ——公家政治家が辿った激動の幕末路
三条実美は1863年の八月十八日の政変で長州系の急進派公家として京都を追われ、「七卿落ち」の一人となって長州に逃れた。禁門の変(1864年)後は太宰府天満宮に長年幽閉されていたが、明治維新後に政府の要職に就き、1871年の廃藩置県を最終決定した太政大臣として明治政府の安定化に貢献した。伊藤博文・山県有朋らと協力して明治国家の制度設計を担った。その後、内閣制度の発足(1885年)とともに太政大臣職は廃止され、三条は内大臣に転じた。
─ 完 ─
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