関東の覇者から出羽の大名へ——関ヶ原後の佐竹氏の転落と存続
佐竹義重は「鬼義重」と称されるほどの猛将で、関東最強の大名の一人として北条・伊達と戦い続けた。晩年に嫡男・義宣に家督を譲り後見を務めた。義宣は関ヶ原(1600年)で明確に東西どちらにも属さない「日和見」の立場を取ったとみなされ、戦後に常陸54万石から秋田20万石へと転封させられた。これが「佐竹の泣き別れ」と呼ばれる悲劇的な縮小であった。しかし義重・義宣父子の努力により佐竹氏は秋田藩として幕末まで存続した。義重は転封後も存命で秋田に移り1612年に没した。