歌人・清原元輔の娘として生まれ、幼少期から漢詩・和歌に親しんだ才女。一条天皇の皇后・藤原定子のもとに女房として出仕し、宮廷の華やかな日々を過ごした。その経験や季節の移ろい、人々の機微を鋭い感性で捉え、随筆「枕草子」に綴った。冒頭の「春はあけぼの」は千年を超えて読み継がれる名文である。枕草子は約300段からなり、宮廷生活の描写・自然への感動・人間観察・机の上の雑感など多彩な内容を機知溢れる文体で記した。定子が中宮の立場を失い29歳で亡くなると、清少納言も宮中を去った。後半生については諸説あり、再婚・地方への転居・晩年の孤独など不明な点も多いが、「枕草子」に見せる明朗で自信に満ちた姿とは対照的な不遇な晩年を過ごしたと伝わる。紫式部からは「漢字を得意そうに書き散らす」と批判されたが、二人は異なる美意識の柱として後世に並び称される。「をかし」の文学を確立した日本随筆文学の祖。