千利休の実子(先妻・宝心妙樹の子)として1546年に生まれた。幼少より父に茶の湯を学び、厳格で直截な独自の茶風を磨いた。利休の茶風を純化し、不要な装飾を徹底的に排除した「道安囲い」と呼ばれる茶室形式を考案したことでも知られる。1591年に父・利休が切腹を命じられると、道安は堺に留まって堺千家を興した。養子の少庵が蒲生氏郷・徳川家康の助力で京都で千家を再興する一方、道安は堺の地で茶人として活動し続けた。道安の系統は後に断絶し、千家本流は少庵の系統へと移った。利休の実子でありながら千家の本流とならなかった悲運は、後世の人々の同情を誘う。1607年に没した。