千利休の後妻・宗恩の連れ子として1546年頃に生まれた。利休の娘・お亀と結婚し利休の養子となったことで、茶道の家元千家の一員となる。1591年に利休が豊臣秀吉の怒りを買い切腹を命じられると、千家は断絶の危機に陥った。少庵は蒲生氏郷のもとに身を寄せ、さらに氏郷と徳川家康の取りなしによって秀吉の赦免を得、1594年頃に京都へ戻ることが許された。帰京後は利休が建てた不審庵を再建し、わび茶の精神と道具を守り伝えた。子の宗旦へ千家を継承し、後の三千家成立の礎を築いた功績は計り知れない。1614年に没した。少庵なくして千家の伝統も三千家の繁栄も存在しなかったといっても過言ではない。