1619年に千宗旦の三男として生まれた。号は江岑。父・宗旦が晩年に隠居するにあたり、1656年頃に千家の本拠である不審菴を譲り受け、表千家の初代家元となった。紀州徳川家に茶頭として仕え、大名家との結びつきを確立するとともに、家元制度の基盤を固めた。父・宗旦の清貧なわびの精神を忠実に継承しつつ、武家社会に広く茶の湯を普及させることも怠らなかった。「表千家」の名は千家の「おもて(表側)」に位置する不審菴に由来する。穏やかで格式を重んじる点前を確立し、利休以来のわび茶の正統を守る流派として今日に至るまで茶道界に多大な影響を与え続けている。1672年に54歳で没した。