1622年に千宗旦の四男として生まれた。号は仙叟。父・宗旦が今日庵を譲ってくれたことにより、裏千家の初代家元となった。「裏千家」の名は千家の「裏側」に位置する今日庵に由来する。加賀前田家の茶頭として長年仕え、北陸の茶の湯文化の発展に大きく貢献した。父・宗旦のわび茶精神を基盤としながらも、大名の武家文化に対応した格式ある点前も整備した。晩年まで金沢と京都を行き来しながら茶の湯の普及に努め、1697年に76歳で没した。裏千家は現在三千家の中で最も多くの門弟を持ち、「一碗からピースフルネスを」の理念のもと国際的な茶道普及においても中心的な役割を果たしている。仙叟が蒔いた種が、世界規模の文化交流へと育った。