千利休の孫、少庵の子として1578年に生まれた。父・少庵が利休切腹後の千家再興を果たした後、その跡を継ぎ、祖父利休のわび茶の精神をさらに純化することに生涯を捧げた。加賀前田家をはじめ多くの大名から仕官の誘いがあったが一切を断り、清貧の日々の中ひたすら茶の湯に専念したことから「乞食宗旦」と呼ばれ親しまれた。1658年、80歳を前に隠居するにあたり、三男の宗左に不審菴(表千家)、四男の宗室に今日庵(裏千家)、次男の宗守には武者小路に官休庵(武者小路千家)をそれぞれ譲り、三千家の基盤を築いた。祖父利休の清貧なわびの精神を守り続けた千家中興の祖として後世に長く敬われる。