武蔵国榛沢郡(埼玉県深谷市)の豪農の家に生まれる。若い頃は尊王攘夷運動に共鳴していたが、一橋慶喜に仕えることで現実的な政治観を養った。慶喜の名代としてパリ万博(1867年)に随行し、銀行・鉄道・保険など西洋近代の経済制度を直接学んだことが、後の実業家としての活動に大きな影響を与えた。明治政府では大蔵省に出仕し、新しい税制や国立銀行条例の整備に尽力した後、実業界に転じた。第一国立銀行(みずほ銀行の前身)を皮切りに、東京海上保険・王子製紙・大阪紡績など約500社の企業設立・経営に関わり、近代日本の産業基盤を構築した。「論語と算盤」を掲げ、道徳と経済の両立を生涯の信念とし、利益一辺倒の資本主義に対して倫理ある経営の精神を根付かせた。社会事業にも熱心で、東京養育院の運営に長く携わり、教育・福祉の向上に多大な貢献をした。2024年に新一万円札の肖像に採用された。「道徳経済合一説」は今日の経営倫理の先駆けとして世界から評価されている。享年91歳。