志賀親次
志賀親次
岡城を守り抜いた不屈の若武者
1566-1660 · 享年 94歳
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生涯
永禄9年(1566年、生年には異説あり)、大友氏重臣・志賀氏の家に生まれた。キリシタン大名としても知られ、洗礼名はドン・パウロ。天正14年(1586年)、島津義弘率いる大軍が豊後に侵攻すると(豊薩合戦)、弱冠20歳の親次は居城・岡城でわずか1500ほどの兵をもって籠城した。天然の断崖を巧みに利用した堅城の地の利を生かし、島津の大軍を幾度も撃退し続け、岡城を最後まで守り抜いた。その戦いぶりは豊臣秀吉からも賞賛されたと伝わる。豊臣政権下では大友氏改易後に浪人となったが、後年まで長く生き、明暦2年(1660年)に没したとされる。
人物像
わずか20歳の若さで、圧倒的な兵力差の島津大軍を相手に一歩も引かず城を守り抜いた不屈の闘志の持ち主。地形を読み切る戦術眼にも優れた若き名将。
歴史的意義
親次が守り抜いた岡城は「難攻不落」の名城として名を残し、現在は日本100名城のひとつとして知られる。雲海に浮かぶ壮大な石垣群は瀧廉太郎の「荒城の月」の着想源になったとも伝わる。
─ 完 ─
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