永禄9年(1566年、生年には異説あり)、大友氏重臣・志賀氏の家に生まれた。キリシタン大名としても知られ、洗礼名はドン・パウロ。天正14年(1586年)、島津義弘率いる大軍が豊後に侵攻すると(豊薩合戦)、弱冠20歳の親次は居城・岡城でわずか1500ほどの兵をもって籠城した。天然の断崖を巧みに利用した堅城の地の利を生かし、島津の大軍を幾度も撃退し続け、岡城を最後まで守り抜いた。その戦いぶりは豊臣秀吉からも賞賛されたと伝わる。豊臣政権下では大友氏改易後に浪人となったが、後年まで長く生き、明暦2年(1660年)に没したとされる。