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PERSON
志賀潔
志賀潔
赤痢菌発見者
1871-1957 · 享年 86歳
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生涯
1871年、仙台に生まれた。帝国大学医科大学(現・東京大学医学部)を卒業後、北里柴三郎の伝染病研究所に入所。1897年、日本で赤痢が流行し9万人以上の患者と多数の死者を出す中、志賀は病原菌の同定に取り組み、グラム陰性桿菌として赤痢菌を発見、1898年に発表した。この菌は後に彼の名を取って「Shigella(シゲラ属)」と命名された——学名に日本人の名が付けられた最初の細菌である。その後ドイツに留学してエールリヒに師事、化学療法や免疫学を学んだ。帰国後は伝染病研究所、京城帝国大学(現・ソウル大学)総長、北里研究所などで研究・教育に従事。ハンセン病研究でも功績を残した。1944年文化勲章受章。1957年没、享年85。
人物像
冷静にして粘り強い実験者。大流行下の混乱と感染の危険の中、地道な細菌培養と動物実験を積み重ねて原因菌を突き止めた。北里の下で鍛えられたドイツ式細菌学の正統派研究者であり、師に劣らぬ後進の育成にも熱心であった。
歴史的意義
志賀の発見は日本人が世界の感染症学に名を刻んだ最初の金字塔である。赤痢菌(Shigella)の命名は現在も医学文献で生き続け、彼の名は世界中の教科書に記されている。赤痢予防は20世紀を通じて多くの命を救い、志賀の業績は公衆衛生史上も最重要級である。仙台市には志賀潔記念館、北里研究所にも顕彰施設があり、日本近代医学を代表する偉人として記憶されている。
逸話・エピソード
1897年——赤痢菌の発見
1897年夏、日本で大規模な赤痢流行が起こり、患者9万人以上、死者2万人を超える惨事となった。北里の指示により志賀は原因菌の特定に取り組む。彼は患者の糞便から多数の細菌を培養・分離し、コッホの原則に従って動物実験で病原性を確認。ついにグラム陰性の桿菌が赤痢の原因であることを突き止めた。1898年、研究成果を発表。当時志賀はわずか27歳であった。世界の医学界は日本の若い研究者の快挙に驚嘆した。
「Shigella」——世界標準語になった日本人の名
志賀の発見した赤痢菌は、発見者を讃えて「Shigella(シゲラ属)」と命名された。学名に日本人の姓が付けられたのは細菌学史上これが初めてである。Shigella dysenteriae(志賀赤痢菌)、Shigella flexneri、Shigella sonneiなど複数の種が知られ、現在も世界中の医学教科書・論文で日々使われている。日本人が世界科学に名を刻んだ最も早い一例であり、開国後わずか30年で世界水準の研究が行えるようになった明治日本の知的飛躍を象徴する出来事であった。
─ 完 ─
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