島津氏は鎌倉時代から薩摩・大隅・日向を支配する西国の名門大名で、戦国時代に島津義久・義弘・歳久・家久の「四兄弟」が九州統一を目指して大きく勢力を拡大した。1587年には豊臣秀吉の九州攻めで敗れて所領を一部削られたが、薩摩・大隅を維持して関ヶ原以後も外様大名として存続した。幕末の薩摩藩として明治維新の原動力となった。
島津義久は義弘・歳久・家久の三弟とともに「四兄弟」と称され、1578年の耳川の戦いで大友義統を破って豊後を席巻するなど九州制覇を目前にまで迫った。しかし1587年に豊臣秀吉の大軍に圧倒され、薩摩・大隅に所領を削られて降伏した。その後は内政に専念し、薩摩藩の基盤を確立。弟・義弘の関ヶ原での活躍を家長として支えた。
島津忠恒(家久)は1609年に3000人の軍勢で琉球王国に侵攻し、尚寧王を降伏させた。以後、琉球は薩摩藩の支配下に置かれながら、中国(明・清)との朝貢関係も維持するという「両属」体制を取った。島津家はこれにより中国貿易の利益を享受し、薩摩藩の経済力強化に貢献した。江戸幕府の支配下でありながら独自の外交関係を持つ例外的な立場となった。