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PERSON
島津久光
島津久光
薩摩藩実力者
1817-1887 · 享年 70歳
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生涯
第11代薩摩藩主・島津斉彬の弟で、甥の忠義が藩主になった後も実父として藩の実権を握り続けた。生涯藩主にならなかったが、幕末期において最も政治力を行使した薩摩の実力者。1862年に公武合体のため大軍を率いて上洛し、幕府に人事改革を要求した(文久の改革)。同年帰途の生麦村でイギリス人を殺傷する生麦事件が起き、翌年の薩英戦争につながった。西郷隆盛・大久保利通ら革命的な尊王攘夷派を抑制しながら、公武合体路線で藩の実力を蓄えた。西南戦争で西郷が敗れた後は、廃藩置県や西洋化に強く反対し続けた保守派の代表的人物。
人物像
保守的な貴族趣味と強烈な権力欲を持つ実力者。西郷や大久保のような革命的発想はなかったが、政治感覚は鋭く、薩摩の実力養成に大きく貢献した。西洋化への頑固な抵抗は晩年の彼の限界でもあった。
歴史的意義
薩摩藩の幕末における実力養成を主導し、明治維新の基盤を築いた。公武合体論者として知られるが、薩摩の近代化推進は久光の実力外交なしには語れない。
逸話・エピソード
生麦事件と薩英戦争——攘夷が招いた近代化
1862年、島津久光の行列がイギリス人を傷つけた生麦事件は、1863年の薩英戦争へと発展した。イギリス艦隊の砲撃で鹿児島城下が焼かれたが、薩摩もイギリス艦船に損傷を与えた。この「引き分け」の経験から薩摩は西洋の軍事力を認識し、その後一転して英国と友好関係を築き留学生を送り出した。攘夷から倒幕・近代化へと転換する薩摩の契機となった歴史的な出来事である。
ゆかりの地 — 1
生麦事件碑
神奈川県
文久2年(1862年)、島津久光の大名行列が生麦村で英国人と遭遇。薩摩藩士がリチャードソンを斬殺した。久光自身は穏健派であったが、この事件は翌年の薩英戦争に発展し、薩摩藩の近代化と倒幕への転換点となった。
─ 完 ─
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