第11代薩摩藩主・島津斉彬の弟で、甥の忠義が藩主になった後も実父として藩の実権を握り続けた。生涯藩主にならなかったが、幕末期において最も政治力を行使した薩摩の実力者。1862年に公武合体のため大軍を率いて上洛し、幕府に人事改革を要求した(文久の改革)。同年帰途の生麦村でイギリス人を殺傷する生麦事件が起き、翌年の薩英戦争につながった。西郷隆盛・大久保利通ら革命的な尊王攘夷派を抑制しながら、公武合体路線で藩の実力を蓄えた。西南戦争で西郷が敗れた後は、廃藩置県や西洋化に強く反対し続けた保守派の代表的人物。