島津義久
島津義久
島津氏第17代当主・九州制覇に迫った当主
1533-1611 · 享年 78歳
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国分城(大隅国)を訪れると出会えます
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生涯
天文2年(1533年)、島津貴久の嫡男として生まれた。義弘・歳久・家久の3人の弟とともに「四兄弟」と称され、その筆頭として島津氏第17代当主を継いだ。天正6年(1578年)の耳川の戦いで大友義統(宗麟の子)を大破すると、その後も勢力を拡大し、九州制覇を目前にまで迫った。しかし天正15年(1587年)、豊臣秀吉率いる大軍による九州征伐を受けて抗しきれず降伏。所領は薩摩・大隅の2国に削られた。以後は剃髪して家督を甥の忠恒(家久の子)に譲るなど内政に専念し、島津家の存続と薩摩藩の基盤確立に努めた。慶長9年(1604年)、大隅国分の地に国分城(舞鶴城)を築いて移り住み、隠居後もなお家中に大きな発言力を持ち続けた。慶長16年(1611年)1月21日、79歳でこの国分城で生涯を閉じた。
人物像
四兄弟の長兄として一族をまとめる統率力に優れ、耳川の戦いなど数々の合戦を勝利に導いた。秀吉への降伏後も潔く内政に転じるなど、家の存続を最優先する冷静な判断力を持ち合わせていた。
歴史的意義
弟・義弘の武名の陰に隠れがちだが、九州制覇に迫った最盛期を築いた当主として、また秀吉降伏後の島津家存続を導いた家長として重要な役割を果たした。晩年を過ごした国分城跡は霧島市の史跡として残る。
さらに深く
家系図
家系図
貴久
島津中興の祖
義久
長男・当主
義弘
鬼島津
歳久
三男
家久
四男
─ 完 ─
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