洪武5年(1372年)、佐敷按司・尚思紹の子として生まれた。応永9年(1402年)、佐敷按司として島添大里城を攻略し、南山勢力圏への足がかりを築いた。応永13年(1406年)、父・尚思紹とともに中山王・武寧(察度の子)を滅ぼし、父を中山王に据えて浦添から首里へ遷都した。応永23年(1416年、1422年説あり)には自ら討伐軍を率いて北山王・攀安知の今帰仁城を攻略し、北山王国を滅ぼした。応永32年(1425年)、父の死により王位を継承し、正長2年(1429年)には南山王・他魯毎を滅ぼして三山(北山・中山・南山)を統一、琉球王国を樹立した。首里城をその王城と定め、明との朝貢貿易を軸とした中継貿易により王国の経済的基盤を確立した。永享11年(1439年)に没した。