574年、用明天皇の皇子として生まれ、幼名を厩戸皇子という。叔母・推古天皇の摂政として国政を主導し、日本初の本格的な中央集権国家建設に尽力した。603年に冠位十二階を制定し、氏族の世襲ではなく個人の才能による人材登用を目指した。604年に十七条憲法を制定し「和を以て貴しと為す」と説き、官僚道徳の基礎を定めた。607年に小野妹子を遣隋使として派遣し、「日出づる処の天子」の国書で対等外交を試みた。法華経・維摩経・勝鬘経の注釈書「三経義疏」を著し、仏教の深い理解を示した。四天王寺・法隆寺を建立し、仏教文化の振興に大きく貢献した。622年に49歳で薨去。その死後、蘇我入鹿に遺族が滅ぼされたが、思想と制度は後代に受け継がれ、日本国家の礎となった。