寛永16年(1639年)に生まれた。対馬府中藩3代藩主。万治2年(1659年)の大火により対馬の府中城下は金石城を含めて焼失したが、義真は翌万治3年(1660年)から城下の再建に着手した。寛文5年(1665年)には居館を城としての体裁に整備・拡張し、「金石城」と呼ばれるようになった。寛文9年(1669年)には天守の代用となる櫓門を築き、対馬藩の政庁としての威容を整えた。対馬は朝鮮との外交・貿易の窓口であり、義真の治世下でも朝鮮通信使の応接など対馬藩の重要な外交機能が金石城を中心に営まれた。元禄15年(1702年)に没した。